自由とは?自由の意味を考える一冊「自由をつくる自在に生きる」

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人は本質的に自由を求めている。森博嗣著書自由をつくる自在に生きる の冒頭に「人生の目的は自由の獲得」であると述べています。

 

人が生きるうえで一つのテーマとなるのが「自由」とは何か?ということ。 

 

自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。

次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、その結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由なのだ」。

 

・不動産投資で経済的自由を手に入れる!

・サラリーマンを辞めて株式投資で自由な生活!

・フリーランスの自由な働き方

 

多くの人が渇望している自由。人間が本質的に求めているもの。自由とは人間の根源的欲求。

 

自由という言葉に人は弱い。これであなたにも経済的な自由が手に入りますよ!というセミナーも多いです。

 

「自由」という言葉を使いビジネスして儲けようという人間もいるためだろうか、「自由」という言葉に胡散臭さを感じるのはそういった原因があるのかもしれない。

   

森博嗣氏の著書は非常に的確に自由について書かれていると思います。著者の深い洞察と思考が垣間見える。

 

「自由」とはなにか?自由という意味について考えていきます。

自由とは?自由の意味

自由という言葉を英語にしてみると「FREE」や「FREEDOM」といった言葉になります。「FREE」とは無料という意味であり、お金を払うなどの「制限を受けないこと」ということ。

 

自由を知るうえで不自由な状態とはどういった状態なのかを考える。自分の意志の邪魔をするような、なんらかの力によって抑制されている、すなわち「支配」を受けている状態が不自由である。

 

命令や規則・社会の仕組みや外圧など支配には様々あるがそれらに囚われているときに感じるのが不自由であり、「支配」から解放された状態が「自由」となります。

支配されている方が楽、人間は自由を望んでいない?

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今の時代自由を求めている人は多い。しかし根本的に人間は支配されることを望んでいると考えます。

 

人間という動物はそもそもそれほど強く自由を求めていない存在なのである。ペットを飼えばわかるけれど、彼らは飼い主に忠実であることが好きだ。

人間もこの傾向は強い。つまり、支配されることが心地よい状態だと感じる本能を持っている。

奴隷制というシステムがあり、また身分があり、差別があった。人が人を支配していた。

それ以外にも、人間は「神」という概念を作り出し、それによって自分たちが支配されていると思い込もうとした。

 

根源的には人は支配されているほうが安心する。サラリーマンを辞めて独立してやる!と言っている人もいつまで経っても独立しないのは会社に身を置いて支配されているほうが楽だからでしょうか。

 

サラリーマンを続けることで組織に属しているという安心が得られる。支配されていることでその恩恵を受けることができるし、余計な心配をする必要がなくなる。

 

まず第一にすべきは自分が支配されているかどうか自覚すること。

 

支配されるという選択を自分が選んでいる。その気づきがまずは必要。視野を広げて自分の立ち位置を客観的に見ることが大切。

 

支配からどうやって自由になろうか思考します。

他人の目を気にしすぎている

SNSといったツールが一般化され他人の目を気にする機会は増えました。

ブログを書くことが日常になると、ついブログに書けることを生活の中に探してしまう。人が驚くようなものを探している。写真に撮って人に見せられるものを見つけようとしている。

たとえば、1年かけてじっくり考えるようなもの、10年かけなければ作れないようなもの、そういった大問題や大作ではなく、今日1日で成果が現れるような身近な行為を選択するようになるのだ。

 

SNSやブログといったものは誰かに見せるために写真や文字を入れるものです。

 

もし誰にも見せない、誰にも話さないとしたら何を書きたいだろうか?

思い込みが自由を制限している

自由を奪う支配は自分の外側にあると考えられます。周囲の人間関係、地域、社会、国家、地球と数多くの制限の中で私たちは生活しています。

 

しかし本当に縛っているのは自分自身であることもあります。自分が内側から支配していることに気付かず、自分自身の可能性を奪っていることもある。 

 

 自分自身の思い込みは、知らないうちに自分を縛りつける強力な支配力を持つ。

周囲から襲いかかる支配は、物理的な環境だったり、あるいは規則といったシステムだったり、それとも人間関係だったり、とにかく姿が見えやすく、存在を感じやすい。

直感的にも、あれのせいで自分が不自由になっている、と感じられるから、感情的にも反発するエネルギーが生じやすい。

「嫌だ」と感じることが、不自由センサが発するサインといえるし、対処のためのエネルギーになる。

貴方の行動は脳が考えた結果だ。脳がやりたいと考える。それを内側から邪魔するものって何だろう?それは誰のせいだ。

もちろん、それも脳の仕業である。やりたいと思うのも、できないと思い込んでいるのも、同じ頭脳なのである。

 

若い時には様々なことに興味を持ち好奇心で飛び込んでいけます。しかし年齢を重ねるにつれ経験・知識・常識・信念が増えることで、結果として自分を制限することになります。

 

何かに制限を受けていると感じるっことは、実は自分の思い込みだったということもあります。

 

世の中には様々な情報があふれ返っているため情報にレッテル貼って整理していく必要があります。

 

「決めつける」「思い込む」という行為は選択する際に余計なエネルギーを消費しないために行うものであります。これはこうだ!と決めつけてしまえば考える必要はありません。

 

歳を取るほど思い込みが激しくなるのは、実は考えることが面倒になっている証拠なのかもしれません。考えることが面倒なので決めつけている。

 

自由が手に入らないのは、自分を縛っている思い込みがあるのかもしれません。

好きなものを手放すことで自由になる

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嫌いなものに支配されている感覚は誰でも感じることがあると思います。

 

しかし好きなものに支配されているということには案外気付かないもの。

 

なにかをもの凄く好きになると、もう一生それから離れられない、という気持ちになる。「浮気」をしない一途な愛を注ぐ未来を想像する。

そのような愛に満ちた姿は美しく語られることが多いので、誰もが憧れているし、素直に自分の中に受け入れるだろう。これがしかし、ときとして度を超えることだってある。

「好きなものはずっと好きでなければならない。そうでなければ、本物の愛ではない」という考えが原動力となる。

方針を変えないことは、最初の指向がいくら革新的でも、いずれは保守的になる。

築き上げたものが多くなるほど、「ここでやめたら今までの苦労が水泡に帰す」といった強迫観念が芽生え、不安に苛まれるようになる。

もちろん、本当にそれが好きなうちはまだ良い。よくよく振り返ってみると、無理をしてしがみついてきた、ということが珍しくない。

 

子どもはつぎつぎに興味の対象が移ります。好奇心が旺盛で次から次に新しいことで遊びます。あちこちに好奇心の対象があります。

 

子どもは好きなものにすぐ飛びつくけれど、飽きることも早い。好きなことであっても興味・関心がなくなってしまえばすぐに手放すことができます。

 

一方大人のほうが好きなものだという思い込みもあり、固執してなかなか手放すことができない。

 

好きなものであってもすぐに手放すことができる子どものような純粋な好奇心を持つことが自由であるということなのかもしれません。

 

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常識に囚われない自由な発想

自由について考えてみると様々な制限や思い込みに囚われていることがあります。人間関係や会社・社会といったものに囚われることはあります。

 

自分の内側の思考や思い込みに囚われているということもあるのだということにも目を向ける必要があります。

 

大切なことは、まず気づくこと。

支配されていることを自覚すること。

そこから、自由な発想が生まれる。自由に発想すれば、自然に自在な行動ができるだろう。

自由に行動することは、周囲と少々の摩擦を生じる。なにしろ、周囲にいるほとんどの人達は「支配下」にあって、その支配が「当たり前」だと思い込んでいる。

自由に行動したい貴方に対して、「勝手なことをするな」という目で見るだろうし、実際に抵抗される場合もあるはずだ。

 

自分の常識に囚われすぎない、その常識は誰がつくった常識なのか?疑ってみてみることも必要です。

 

まず自分の中にある常識を疑ってみてみましょう。自分を制限しているものが何なのか?気づくことができると思います。

自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)

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