【自然が好き】自然で過ごすことが好き、人が自然を求めてしまう理由

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自然が好きな人は増えています。

近年はアウトドアショップも賑わいを見せています。

 

街に住んでいると自然に触れ合う機会は少ない。

わざわざ街から出て自然の中にドライブに行ったり、旅行をしたりする。

 

無意識下で人は自然を求めているのだと思います。

 

私も自然の中で過ごす時間はなによりも貴重な時間だと思っています。

なぜ自然を求めてしまうのだろうか?

その理由について考えてみます。

ありのままの自分でいて良いと思える

今のままでは駄目…現状の自分を受け入れられない状態になることがあります。

 

そんなとき自然の中で過ごしてみる。

自然はいつでも自分を受け入れてくれます。

そんな自然で過ごしていると今のままでもイイと思えるようになります。

 

自然の中にいると意識が今現在の自分に向きます。

今のままでは駄目だ…と思うことは今の自分を受け入れられず、意識が過去や未来に置いていることがあります。

 

現在に意識が向くことで、今の自分オッケー!という気持ちになります。

自然の中で過ごすと、悩みがどうでもよくなる

自然の中にいると小さな悩みなど、どうでもよくなります。

 

この圧倒的に大きな自然の中では自分の悩みなんてほんとにちっぽけなものなのだと思えます。

どうしようもない…と絶望を感じたとしても、ひとりの人なんて自然の中ではちっぽけな存在。

 

そんな風に思えたら悩みなんてどうでもよくなります。

そんな考えになると気持ちが自然と前向きになります。

自然の中にいると生きている実感が得られる

今の社会は安全。

安全すぎる環境は人間の持つ生きる力、本能を弱めてしまうのかもしれない。

 

ある程度の危険があったほうが生きようとする本能が呼び覚まされる。

山登りをしていると感じるのが、体ひとつで自然と対峙しているという感覚。

 

人間の力ではどうにも動かすことのできない自然。

その自然の中にいることで生きているという実感を強く感じられます。

自然の中ではひとりになれる

社会の中で過ごしていると必ずどこかに他人がいます。

他人を全く意識せずに生活することは難しい。

 

ずっと家の中にいたとしても、どこかで他人の目を気にしているもの。

世間の目というものはこの社会で生きている限り意識せざるを得ない。

 

自然の中で過ごすことはひとりになれるけれど、決して孤独ではない。

そこに生きている生物のエネルギーを実感できるから。

 

人とつながることに疲れたら、自然の中でひとりの時間を持つと良いかもしれません。 

自然は人工的な意図が少ない

社会や街の中で過ごしていると人工的なものが数多くあります。

 

買い物に行っても消費者の購買意欲をそそるように仕掛けが施されています。

感受性の高い人は、そういった人の意図を感じ取りやすいのかもしれません。

 

人の手の加わったものが少ない場所が自然。

人が意図的に森に木を植えたり、道路を舗装したり、ありのまま100%の自然というものは少ないかもしれません。

 

そういった人の意図が加わっていない自然は人を落ち着かせてくれる場所。

 

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人は無意識に自然を求める

人が自然を求める理由を考えてみました。

人は無意識に自然を求めるのだと思います。

その傾向は時代と共に強くなっているのだと感じます。

 

これは現代社会の在り方や人の生き方を考えるきっかけになる。

 

人のあるべき姿は自然の中にあるのかもしれない…そんな風に思いました。

 

 

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