下手くそだけれど続けられることはある種の才能なのかも…

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才能というともともとその人に備わっているもの。なにかを続けられることはひとつの才能であると思います。

 

イチローがなぜメジャーリーグで長年プレイを続けられるのか。いつまでも野球を続けられるという才能に恵まれている。そういったものに早い時期に出会え、それをずっとやり続けられたからこそ世界的なプレーヤーになれたのだと思う。

 

続けられることはどんなことだろう?今よりもよくなりたいと願い、理想や希望を持ち続けられるからではないでしょうか。

上手でも続けられない理由

上手くできることと続けられることはちょっと違うと思います。自分が上手くできていると満足してしまえばそれ以上続ける理由はなくなる。

 

逆に自分はまだまだ、もっと上手くできる!と思えるから辞めることなく続けられるんだろうと思います。

続けられない理由は本当の望みではない?

例えばTOEIC800点を取ろうという目標で続けられる人と続けられない人がいるとします。

 

この2人の違いはどこでしょうか?TOEIC800点が目的になっているのか、TOEIC800点取った先に本当の望みがあるかどうかだと思います。

 

TOEIC800点は通過点であって、お金を貯めてアーリーリタイアして将来は海外で悠々自適に過ごしたい…という夢があったとするとそこに対するモチベーションが違います。

 

そこに自分が本当に望むビジョンがあって、未来を見据えてできることが継続できることなのではないでしょうか。

 

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下手でも続けられるという才能

私もなんとかこのブログを続けられてきた。ブログを続けてきたが、人にわかりやすく文章で伝えられるとか、バズを狙って記事が書けるとかそういった技術はない。

 

逆にうまく文章が書けなかったり、書くことが浮かばなくて悶々としたり…。

 

深い考察から物事を捉え、文章を書けるようになりたい!

もっと多くの人の響くような文章を書きたい!

 

人は満足してしまえばそこで続けることをやめてしまう。理想があればそこに近づけるように努力する。

 

いつまでも下手くそだと思えるからこそ、そこに必死にエネルギーをかけて一生懸命になれるのだと思う。

 

美術や音楽、作文といった自分を表現するものが子どものころから苦手だった。苦手だったころを今このブログというものを通して学んでいる。言葉で人になにかを伝えるということは本当に難しい。最近はそんな風に思います

 

下手くそだけれど続けられていることがあるのなら、それはひとつの才能だと思って続けてみると新しい気づきや発見が得られるのかもしれません。

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